ロジカルな人に愛を感じにくい理由

なぜ「ロジカルは冷たい」

「はじめちゃんって、いっつもロジカルだけど、実は熱い人だよね」

これは私が以前インターン先の上司の方にいただいた褒め言葉です。「実は熱い(=感情のこもった)人」というフレーズが、内面の部分をしっかり見ていただいているな〜という感じがしてすごく心に残っています。言ってもらったときはすごく嬉しくなりました。

ところでこの一言、すごく興味深いと思いませんか?

どこが「興味深い」かというと…それは「熱い人」の前に「ロジカルだけど」という前置きがあるところです。これって、「ロジカルな人はふつう冷たい(=感情がこもっていない)」ということを前提にしてますよね?

たしかに「ロジカルな人」というと、「理知的・冷静・メガネ・そっけない」あたりが連想されて、あまり感情がこもっている人のイメージは湧いてこない気がします。

これってどうしてでしょうか?

とある「ばばバカ」

この秘密に迫るために、少し昔話をさせてください。

私はなかがわ家の待望の長男として生まれてきてまして、ベイビーのときに親戚中からすっごくチヤホヤされていたんだそうです。おじ・おば・いとこが全力でかわいがってくれた上に、祖父母が「じじ・ばばバカ」をものすごい勢いで発動させちゃったそうで。

生まれたての私を見て、祖母はこう言ったといいます。


「この子は頭が大きいから、きっと学者さんになるわ〜」

いやそんな無茶なっ!

と、思いません?

たぶん「頭が大きい→脳みその容量が大きい→賢い→知的な職業に就く→学者さんになる」という組み立てだと思うんですけど、どの矢印もちょっと無理がありますよね。おばあちゃんそれは言いすぎでしょと。

でも同時に、すっごく愛を感じると思いませんか。もうかわいくてかわいくてしょうがないのが伝わってくるというか。孫の幸せを心から願っている、そんな感じがしますよね(おばあちゃんありがとう)。

で、ここからが本題なのですが…。例えばさっきのひとことがこんな感じだったらどう思いますか。


「この子は両親が学者だから、きっとこの子も学者になるわ〜」


これはわりとロジカルというか、ある種の統計的な根拠に基づく判断ですよね。例えば医者の子どもは医者に、農家の子どもは農家になりがちですし。おおむね「ふつう」のことを言っていると言えます。

そして同時に、さっきほどの愛情は感じられなくなったと思いませんか?

孫の将来を想像しているという点で、確かに温かいひとことではあると思うのですが…。ロジカルになった途端に「ばばバカ」という感じではなくなりました。客観的なおばあちゃんです。

もう少し条件をいじって実験してみます。

私の祖母が昔は看護師をやっていたとします。彼女は病院で妊婦さんや新生児の病棟に勤務していて、頻繁に赤ちゃんに接する機会を持っていました。そして頭の大きい子どもを見る度に、なぜか「この子はきっと学者になるわ〜」と言っていました。

そして彼女は生まれたての自分の孫を見て、またこう言ったのです。


「この子は頭が大きいから、きっと学者さんになるわ〜」


これだとどうでしょう?せいぜい「また言ってるわこの人」くらいにしか思いません。孫に対する特別な愛を感じるというよりは、「頭が大きい→学者」への並々ならぬこだわりのほうが気になります。

もうひとつシミュレーションです。

私の祖母が普段は全く笑わないお婆さんだったとします。無口で、冷たくて、愛想の悪い人としてご近所でも有名人。おまけに子どもギライで、家の前で子どもが騒いでいるととてもイヤな感じで叱りつけていました。

しかし、そんなお婆さんに彼女の生まれたての孫を見せたとき、彼女はにっこりとほほえんでこう言ったのです。


「この子は頭が大きいから、きっと学者さんになるわ〜」


こうなると、孫に対するお婆さんの特別な愛情を感じます。「え、お婆さん、普段とぜんっぜん違うじゃん!そうとう孫がかわいいんだね…!」といったところです。

大事なのは「ふつう」とのギャップ

上記のたとえ話で私が言いたかったのは、人は「ふつう」とのギャップに人の想いを感じとることができるということです。そしてそのギャップが大きいほど感じるものも大きい。

「両親が学者だから、この子も学者になる」には、統計的な傾向という「ふつう」とのギャップが無かった。

「いつも言っているけど、頭の大きい子は学者になる。この子もそう。」には、普段の彼女という「ふつう」とのギャップが無かった。

だからそこに特別な感情は見いだせない。

一方で冷たいお婆さんの例では、「普段は冷たくて子どもギライだけれど、自分の孫には甘い」という、「ふつう」との明確なギャップが見えます。だから孫への特別な想いを感じるのです。

これが、「ロジカルな人」に感情がこもっているイメージを抱かない理由なのではないでしょうか。

つまり、「ロジカルな人」は良くも悪くも一般的・合理的な推論で導くことのできる「ふつう」の意見ばかり言っている。だからそこから感じ取れるものが無い。そういうことだと思うのです。

これを逆手に取って、ロジカルさを起点に想いを伝えることも出来ます。

例えば何かしらの提案を通したいとき、「こうでこうでこうですので、ふつうに考えたらAプランを選択するのが妥当だと思います。でも私はBプランで行きたいです。Bの方がなんだかわくわくするので。」という言い方をすると「Aというふつうのチョイス」とのギャップが見えて、Bへの並々ならぬ想いを感じますね。

てなわけで色々書きましたが、人は「ふつう」とのギャップに人の想いを感じるんじゃないかという話でした。

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