面白がるために工夫していること、迂回と掘削

面白がるコツ

前に「面白がる自分を育む」という考え方を紹介した。

今回はその番外編で、面白がるために自分がふだんの学習の際に意識しているコツみたいなことをまとめてみようと思う。

一度に面白がる範囲を限定する

学習の「面白い」は基本的に「分かる喜び」から来る。「分かる」は「分けられる」ことで、基本的には漠然としたでかい塊よりも小さい範囲に絞ったほうが「分かりやすい」。

たとえば「水について」よりも、「水の状態変化について」「水の構成元素について」のほうが学習を前に進めやすいのはなんとなく想像がつくだろう。「分からない」ときはブレイクダウンする。

限界生産性が下がってきたら関心を移す

「限界生産性」というゴツい言葉は、ざっくり「1時間あたりの生産性」を意味する。基本的に限界生産性は逓減する(だんだん下がってくる)と言われている。学習の最初の1時間よりも、10時間目の1時間の方が、その1時間だけで見たら進みが遅い傾向にある。

時間が経って限界生産性が下がってきたなと思ったら、関心を移して限界生産性をリセットする。実際には「詰まってきたから切り口を変える」という感覚に近い。あまり同じ切り口に固執しないこと。分かるときはすっと分かるものだ。今わからないのは、今の切り口では得られない何かが必要なのだと割り切る。

未知のアイデア=既知×既知

「分かる」は「分けられる」ということで、つまり「分け方が見える」ということだ。だから分かるという動作はアイデアの発想に近い。新たな分け方のアイデアを発想する。

未知のアイデアは既知のアイデアの組み合わせでできている。だから分け方のアイデアが出てこないときは、組み合わせ方が悪いか、組み合わせるべきパーツが足りてないときだ。

アイデアは発酵する

これは『思考の整理学』からの受け売りで、「素材」となる何かと、「酵母」となる何かが揃っていれば、寝かせておくことで化学反応が起きるよという考え方。つまり、組み合わせるべきパーツを持っているときは、無意識下で頭の中が整理されたときに勝手にうまく組み合うものだ、という姿勢である。

力を込めて考えても出ないぞ、ぼーっとしてるか忘れるくらいがちょうどいいぞ、という意味で使っている。自分は皿洗いをしているときか湯船につかっているときによくアイデアが出る。

学習の「迂回と掘削」モデル

学習は、地面を掘ることに似ているなと思う。掘り進めて、固い地盤に当たったら迂回する。掘れそうなところ、掘りたいところを見つけたら一気に掘削する。この繰り返し。

キルケゴールの『死に至る病』という難解な本を読んでいたときの話。

人間は精神である。しかし、精神とは何であるか。精神とは自己である。しかし、自己とは何であるか。自己とは、一つの関係、その関係それ自身に関係する関係である。

あるいは、その関係において、その関係がそれ自身に関係するということ、そのことである。自己とは関係そのものではなくして、関係がそれ自身に関係するということなのである。

初っ端からこんなんで参ってしまう。しばらく読み進めても大体この感じ。試しに音読してみてもあまり意味が入ってこない。繰り返し読んでみて、分かった気がして、いや、気のせいだと思い直す。

ストレートに掘り進められないことが分かる。迂回する。どこに向かうか?まずはキルケゴールという人の歴史を知る。彼の家族との関係性についてや、ヘーゲルの弁証法が土台にあることなどを知る。じゃあ次はヘーゲルの弁証法に迂回する。ふむふむ、テーゼとアンチテーゼでアウフヘーベン、なるほどね。

ここまで来ると、「人間は有限性と無限性との、時間的なるものと永遠的なるものとの、自由と必然との、統合である」とか、「絶望における分裂関係」とかいう表現で言いたいことが、なんとなく「分かる」気がしてくる。掘削が進む。面白くなってくる。

またわからなくなったら迂回する。キルケゴールのキリスト教のバックグラウンドについて調べたり、ネットに落ちてる解説文を拾ったり。掘削が進みそうなポイントを探す。そのタイミングを待つ。

単純にまとめると、「迂回と掘削」とは以下のような所作を言う。

  • 迂回:周辺知識を集めるために寄り道する
  • 掘削:(その周辺知識を使って)本丸を深掘りしていく

面白がる対象を、ざっくり『死に至る病』としておくのじゃなくて、「〜の著者」とか「〜の論の土台となった論」とかに分解してみる。面白がるが上手く行かなくなったら、隣の要素に関心を移す。ふらふらしているうちに分かるための要素が揃ってくる。そこまでやれば「分かる」までは時間の問題になる

最初に紹介した4つの要素をこういうふうに解釈すると、「迂回と掘削」という言葉でまとめられるのではないかと思っている。

参考:「分散と修繕」モデル

以前見つけた、「分散と修繕」モデルも面白い。

https://www.cultibase.jp/articles/9884

「分散と修繕」の主眼は、「どこかに到達すること」ではなく、あくまで「自己の変容」に置かれています。そして、そのプロセスは基本的に楽しいものであるはずです。自身の関心に基づいたたくさんの“寄り道”を味わいながら、できればその道中で得た発見を他の人に話してみましょう

「迂回と掘削」は「対象についての理解」が軸にあるが、「分散と修繕」の方はあくまで「自分」が軸にあるので、「面白がる」の姿勢と本質的なところでより噛み合っているかもしれない。

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