賢い人の学び方は洗練されている
浪人時代の強烈な思い出
大学受験に失敗した私は高校を卒業後、晴れて浪人生となった。浪人生になったその日から、私の生活は勉強一色になった。朝の9時から夜の9時まで予備校にこもり、ガリガリ勉強する。そんな生活を毎日続けていた。警備員さんの「閉館ですよ〜」が帰り支度を始める合図だった。気づけば自習室に残っているのは私と警備員さんの2人だけ、なんて日もあった。
受験本番が近づくほどに、私の勉強量は増していった。いろんな問題集に手を出し、できる限りたくさんの知識を集めようとしていた。わからない問題に出会っては解答例を暗記した。暗記したことを忘れないために、何度も何度もその解答例を見返すような勉強をしていた。受験直前の冬になると、 見返さなくてはならない問題が手に負えないほどの量になっていた。私は3分でもスキマ時間があれば、クリアファイルから解答例を1つ取り出して見返すのだった。
そんな私とは対照的に、同郷であり、予備校の同僚のHくんは、受験本番が近づいてくるにつれて徐々に勉強量を減らしていった。予備校では、始業前の朝会でミニテストが行われる。Hくんと私は、毎朝ちゃんとミニテストを受けていた。 私たちは苦しみながらも共に合格を目指す戦友だった。しかし、次第にミニテストの時間にHくんの姿が見られなくなり、最終的に彼は来なくなった。 私は少しHくんのことが心配になりつつ、「オレは負けないぞ」と自分で自分を鼓舞していた。
受験直前の12月、冬期講習が始まると、予備校でHくんの姿をぱったり見なくなってしまった。私は6つほど講習を受けていたが、どの講習にもHくんはいなかった。それもそのはず、驚いたことにHくんは講習を1つも取っていなかった。 この時、私はHくんの心配をする余裕もなく、「最後に笑うのは、圧倒的な勉強量を誇るこのオレだ」と自分に言い聞かせながら、受験本番までがむしゃらに走り続けた。
受かったのはHくんだった。
賢い人は、一を聞いて十を知る。
どうしてHくんは成功し、自分は失敗したのか。ずっと腑に落ちなかった。が、最近ヒントとなる話を知った。ダルビッシュ有・大谷翔平・佐々木朗希など数々の一流選手を育てた吉井コーチの話である。
吉井コーチは 『最高のコーチは、教えない。』という本を書くぐらい、指導のときに「教え」ない。その代わり、「どうしてその練習をしているの?」と選手に質問するそうだ。吉井コーチの質問によって、選手は自分自身に問いを向け、自己への理解を深めさせていくことができるらしい。
吉井コーチ:「どうしてその練習をしているの?」
選手:(あれ、この練習の目的はなんだったけ?)
吉井コーチ:「どうしてその練習をしているの?」
選手:(あれ、そういえば俺の課題はなんだっけ?この練習は課題克服のために本当に有効なのか?)
実は、私も吉井コーチとほとんど同じ指導を受けたことがある。それは、優秀な友人Nにプログラミングを教えてもらっていたときのことだ。
彼が「教えて」くれるのは3割ほど。7割はこちらが質問される。
(手取り足取りレクチャーしてもらって)
N:「OK、これで動いたね」
私:「よっしゃ〜」
N:「じゃあ、今やったこと最初から全部説明してみて」
私:「え、えーと…」
私:「まずこの部品とこの部品とこの部品を作ります…」
N:「どうしてそういう分け方をするの?もっとまとめたり、逆に分けたりしてより良くなったりはしないの?」
私:「え、えーと…」
私:「それでこういうデータの配列をこの機能で保持して…」
N:「なんでそういうデータ形式がいいの?他のやり方はないの?」
私:「え、えーと…」
私:「こ、これで完成です...!」
N:「よし、お疲れ様。振り返ってみていろんな『わかったつもり』があったのがわかったと思うけど、それってなんでだと思う?いつ『わかったつもり』が発生してしまう?」
私:「え??えーと…」
質問の滝に打たれている間、私は非常に辛かった。「わかったつもり」がたくさんあった。 私は教わったことの、ほんの少ししか理解していなかったようだ。きっと、これまでの勉強もたくさんの取りこぼしがあったに違いない。もう少し早く気づいておけば… 私は「勉強したつもり」になっていたのだ。
勉強中、こんなに自分に問いを向けたことは無かった。私はNに質問されて初めて、自分で自分に問いを発することができた。自問することで、プログラミングの知識とそれ以上に重要な学びを得ることができた。それは、ひたすら知識をかき集めていただけの私が体験したことのない、まったく新しく、とても深い学びだった。
当時は気が付かなかったが、いま思えばNの質問攻めは「少ない量の情報を深く深く掘り下げる」という態度だった。Nは自分で勉強するときもたくさん自問しているのだと思う。予備校時代の私のようにとにかくたくさんの情報を浴びるのではなく、ひたすら自分の中にある情報を見つめているのだ。
なんとなく、これが「一を聞いて十を知る」賢い人の学び方か、と、合点がいった。とても洗練されている。
Hくんはすでにこれに気づいていたのだろう。予備校で文字の洪水に溺れていた私とは違い、きっと高台でじっくり自問していたに違いない。こう思うことでようやくあのときの困惑を収めることができた。
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