無愛想なコンビニ店員は「本当の豊かさ」のヒントをくれた。
「本当の豊かさって何だろう?」
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「本当の豊かさって何だろう?」
そんな一文から始まるこのブログは、高知県のとある田舎町での経験と、そこから見えてきた筆者にとっての「豊かさ」について書かれている。
私にとっての「本当の豊かさ」とは、澄んだ水と人の温もりが染みたおむすびが食べられることと、そのありがたさが分かることだ。
円安で物価も上がり、なんとなく閉塞した空気の現代でこそ、経済的・物的な満足とは別の「豊かさ」に気づく。どこかで聞いたことがあるのだけれど、日々の喧騒の中で忘れてしまいがちなこと。だからこそ時々読み直したい、そんな話だった。
無愛想なコンビニ店員
僕にとっての、本当の豊かさって何だろう?
先日友人と深夜ドライブをした時のことだ。夕方ごろからカーシェアで車を借り、目的地も決めず、ぶらぶらと神奈川の海岸沿いを走ることにした。
道中小腹が空いたので、てきとうなコンビニに寄った。夜8時くらいのセブンイレブンはお客さんが少し多いタイミングで、レジに客が2、3人並んでいた。僕の番になった時、僕は友人と話をしていてレジが空いたのに気づかなかった。
するとレジの方から無愛想な、少し苛立った口調で「つぎのかたー」と呼ばれた。僕ははっとして、その男性店員が立つレジに向かった。
店員は無言でバーコードを読み取り、「袋は?」とだけ聞き、僕が「あ、袋は要らないです」と言うと、何も言わずに慣れた手つきでレジを操作する。そこまでやれば、セブンイレブンの最先端のレジは、支払い手段の選択からお金のやりとりまで客一人で完結する。Suicaで精算を終え、レシートと商品を手に取って、僕が「ありがとうございました」と言うと、店員さんはまた無愛想に「はーい」とだけ言い、目線はもう次の客に向けられていた。既視感があると思ったら、3年前に行ったカッパドキアのスーパーの店員もたしかこんな感じだった。
客と店員との、必要最低限のコミュニケーション。
お店を出て、車に乗り、数秒前のやりとりに思いを馳せると、なぜだろう、不思議と悪い気持ちはしなかった。
コンビニ店員にしては珍しい対応だった。コンビニに限らずチェーン店の多くはマニュアル化の時代。どの店舗に行っても店員はほぼ同じような対応をしてくれ、同じサービスを受けられるはずの時代。安心の時代。
そこに突然現れたマニュアルに従わない無口な店員は、僕に一つの問いをくれた。
安心、なんてあるのだろうか。
想像できないコミュニケーション
一緒にドライブをした友人は、生活雑貨を扱う店で接客のアルバイトをしている。想像に難くないが、接客のバイトでもっともストレスなのはクレーマーらしい。店舗に在庫がないだけで、なんの責任もない店員に文句を言う。そんなクレーマー客に店員や別の客が反撃した(そして”わからせた”)エピソードが、スカッとするコンテンツとしてテレビやYouTubeで流れるような現代だが、そんな時代になってもクレーマーはなくならない。
彼らには想像力がないのだと思う。自分の他にも、自分と同じ商品を買う客がいること。見えている店員だけでお店が回っているのではないこと。目の前の店員にも、感情があること。
でも想像できないのもしかたない。想像できなくしたのは、お店、あるいは社会の側だからかもしれないから。お金さえあれば、どこに行っても、いつ行っても、欲しいものが欲しい時に欲しいだけ手に入る。そう思っていたらそうじゃなかったのだから、クレームを言いたくなるのもわからないでもない。
そんなクレーマーと店員との間に、少なくともコミュニケーションと呼べるものは成り立っていないと思う。互いに互いを”その人”として扱う、そんなコミュニケーションは。
僕にとっての「豊かな」コミュニケーション
僕は、あのコンビニを出た後、店員の男性に思いを馳せた。
彼はどんな人なんだろう。あのような対応を他の客にもしているのだろうか。しているとしたら、他の店員にはどう思われているのだろう。あの雰囲気なら客だけでなく他の店員にも同様に、無愛想にしていそうだな。いや、意外と見知った人とはよく話すタイプかもしれない。他の店員とはうまくいっているのだろうか。もし普段から無愛想だとして、他の店員とうまくいかず、職場に居づらくなってバイトをやめてしまうことはないのだろうか。
そこまで考えるとなんだか不安になってくる。と同時に自分の妄想癖に少し笑ってしまう。
でも、少なくともあの時僕は、”彼”自身とコミュニケーションをとった気がした。コンビニ店員と、ではなく。コンビニ店員のマニュアルによって削られたはずの個性が、彼には残っていた。だから見えていない彼の部分を想像できた。そのことに僕は悪い気持ちがしなかった。むしろ、なんだか嬉しくなった。
小さい頃によくかよった、地元の個人商店を思い出した。少し小柄で、頭の薄い、メガネをかけたおじさんが営む小さなお店。片田舎の小さな商店で駄菓子や飲み物を売っていたおじさんの接客は、あのコンビニ店員のように無愛想だった。けれど駄菓子を買いに行くと、何回かに1回、「1つだけ好きなの持っていきな」と声をかけてくれる、不思議なおじさん。僕はちょっとこわいなと思いながらも、お店には頻繁にかよった。
あのコンビニ店員が僕をどう思っていたかはわからない。おそらく何十人といる客のうちのひとりでしかなく、記憶にも残っていないだろう。けれど僕にとってあのコンビニでの出来事は、彼とのコミュニケーションとして頭に残っている。客と店員とではなく、人と人とのコミュニケーションとして。
あとになってふと、Googleマップを開き、そのコンビニの評価を見てみた。案の定、「店員が無愛想」といくつか低評価がついていた。でもその低評価も、その人がその人として評価されてる気がして、なんだかほっとした。それはさすがに気のせいだろうか。
相手のことが少しでも想像できるような、そんなコミュニケーション。
僕にとっての「本当の豊かさ」のヒントになった気がした。
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