いいものを作りたければ、まずは余裕を作らなくてはいけない

今日のおやつはイカフライ

お腹が空いた状態で料理をするのは危険だ。「早く食いてぇ」と焦って調理が雑になる。一度、野菜かちこちしゃばしゃばカレーを作ったことがある。

だから、先にちょっと腹を満たしておく。そうすると、心に余裕ができて、おいしいものが欲しくなる。

食べる前に、つまむ。今日のおやつはスーパーで特売だったイカフライだ。飢えがすーっと引いていく。ガサゴソと冷蔵庫の奥まで手を伸ばしてみる。さて、今夜はどんなごちそうを作ろうか。

仕込みで全てが決まるんだ

こんな習慣を作ったのは、バイト先のシェフとの会話がきっかけだった。

僕は、ちょっと高級なイタリアンでホールスタッフのバイトをしている。暗めの照明で、BGMのジャズがよく似合う店だ。普段から、記念日の大学生カップルやおしゃれなOLさん、羽根を伸ばしに来たサラリーマンでにぎわう。

夏になると、うちの店は数日お祭りに出店する。まあまあ大きなイベントで、うちのキッチンカーの前には朝から晩までずーっと長い行列ができるのだった。祭り最終日、とてつもない疲労と闘いながらなんとか片付けを終えると、小雨が降ってきた。急いで帰り支度していたら、「こうすけ、お前歩いて帰るんだろ?」とシェフから聞かれ、フラフラの僕は気づけば彼の車の中にいた。今夜はシェフが車で送ってくれるらしい。

すごく緊張していた。

僕から見たシェフは、寡黙な仕事人という感じだった。料理を運び出すためにキッチンに入ると、いつも鬼の形相で食材と対峙する彼が立っていた。寝たらヤバいかもと思い、僕は助手席の背もたれからすこし身体を離した。車が出発する。

開口一番、シェフは「こうすけ、疲れたけど楽しかったな!」と言った。達成感のにじんだ充実した笑顔に、いつの間にか僕は背もたれに寄りかかっていた。会話は大いに盛り上がった。車から降りるとき、少し寂しくなったぐらいだ。

僕はシェフの仕事人としての心構えが知りたくて色々質問していた。

「シェフ、仕込みにかなり時間かけてますけど、仕込みやらなきゃオペレーション間に合わないんですか?」

「いや、仕込まなくても間に合うっちゃ間に合うよ」

ここまでは温厚なシェフだった。僕は続けて「休み削ってまで、どうして仕込み作業やるんですか?」と聞いた。運転席を見ると、シェフの顔があの鬼の形相に戻っていた。そして、こう言った。

「焦ると、皿の上が乱れるんだ」

シェフ曰く、料理人が作っているのは1つの芸術作品でもあるらしい。たしかに、付け合せの野菜を盛り付けるときだって、シェフは真剣な表情をしていた。僕が料理を運び出すとき、シェフは皿のどこを正面にしてお客さんにサーブするのかを指示してくれた。ソースのかかり方に納得がいかなかったら、やり直していた。これらは全て、味にはまったく関係のないことだ。

待っているお客さんはたくさんいる。1品にそんなに時間はかけられない。そんな中でも、シェフは1ミリも妥協せずに素晴らしい「作品」づくりに精を出す。そしてそのために、自分の余裕を確保するために、努力を怠らない。念入りに仕込みをしておくことで、どんなにたくさんのオーダーが入ろうと、焦らず、美しい1皿を作ることに集中することができるのだ。「仕込みで全てが決まるんだ」というシェフの言葉は、「いいものを作るためには、まず心に余裕を作らなくてはいけない」ということを物語っている気がした。

今夜はレバニラ

夕飯ができあがった。今夜はレバニラだ。

YouTubeの料理動画を見ながら、各工程を丁寧にこなしていった。レバーの臭みを抜くために、下処理をしなくてはいけない。レバーとニラは別々に炒める。最後にフライパンの上で合流させる。一昔前の「早く、たくさん食いてぇ」しか頭にない僕にはとうてい理解できない作業量である。

けど、今は違う。イカフライを食べた僕は、余裕に満ちあふれている。程よい量でいいから、多少時間がかかってもいいから、おいしいものを欲している。

いいにおいが達成感を運んでくる。一口食べる。くさ過ぎない、クセになる味に箸が止まらない。腹八分目でごちそうさまだ。これ以上なにもいらない。なんて素晴らしい一日。

いや、なんだか本当に、食事を越えてなにごとも、最後にかけて余裕のある状態を作らなくてはならないと思えてきた。シェフが念入りに仕込みをしていたように、僕は人生の仕込みをちゃんとやっているだろうか。若さを無駄にしてやいないだろうか。

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