人を動かすには「文脈」を用意する必要がある
人を動かすための2つの用意
「人を動かす」なんて言ったら少しおごり高ぶった感じがしますが、他人に行動を促す際に大事にしていることが2つあります。それは「相手の自己重要感を大切にすること」、そして「思わず行動したくなるような文脈を用意すること」です。
ひとつ目の「相手の自己重要感を大切にすること」ですが、これはあまり説明がいらないかもしれませんね。相手に「自分は大切に扱われているな」と思ってもらえるようにする。例えば「この仕事は〇〇が上手なあなたにこそ任せたいんですよ」といったように、相手の評価しているところをストレートに伝えるなどが挙げられます。これについて詳しく知りたい方には、デール・カーネギーの『人を動かす』をおすすめします。
もうひとつの「思わず行動したくなるような文脈を用意すること」ですが、これは具体的なエピソードを話したほうが早いでしょう。私がこれを学んだ時の話をします。
運動ギライな女性の話
私の友人に自分のぽっちゃり体型を気にしている女性がいて、彼女とダイエットの話になったときのことです。
彼女は「自分が食いしん坊だからいけないのだ」と、断食だとか糖質制限だとか色々試していたらしいのですが、もとが食いしん坊なので長く続かずに挫折していたそうで。
痩せ型の私は「ふつうに運動すればいいんじゃない」と身もふたもないことを言うのですが、運動はどうしても好きじゃないそうで「イヤだ」と。「別に激しい運動をする必要はなくて、散歩くらいの強度でも30分くらいやれば十分痩せるらしいよ」と言ってみても、「続く気がしない」とのこと。
私は散歩が好きなので、内心「そのくらいもできないんじゃ痩せないよなあ」なんて思っていたのですが…。一方で「彼女は本当に運動がイヤなんだろうなあ」とも思っていて。そんな感じのこと、自分にもあったなあと。
昔、中学のサッカー部だった頃、週末の練習試合が好きじゃなかったんですよね。たぶん下手くそだったからなんですけど。
一方でサッカーの上手い友達は「なんで?ただ楽しいだけで最高じゃん!」と言っていて、当時の自分は「同じことをしているのにこうも違うか…」とやるせない気持ちを抱いていました。
でもよく考えれば、練習試合なんて上手く行かなくてもなんら問題ないし、「引き」で見ると「週末に仲のいい友達とサッカーしている」くらいの話なので、彼の言う通り「ただ楽しいこと」だったはずなんですよね。そういうふうに考えられていればきっともっと楽しめたはずで、考え方の違いだけで随分と損をしたなあと少し後悔していて。
そこで、彼女にとって散歩を「痩せるための運動」から「なにか楽しいこと」に意味合いを変えられないかなと考えたのです。もし、「なにか楽しいこと」をする途中に運動があれば、「結果的に」運動ができるなと。
考えた末に、私は「街一番のパン屋さんまで毎朝歩いてみたら」と彼女に提案しました。
街一番のパン屋さん。痩せ型の私でもワクワクする響きです。食べることが好きな彼女は目を大きくして「それは楽しそう!ちょっとやってみたいかも」と言い、実際に毎朝パン屋に通い始めました。
彼女が選んだ「街一番のパン屋さん」は彼女の家から片道1.5km程度あるそうで。徒歩だと往復で40分ほどかかります。さすがに毎日はしんどいんじゃないかと思っていたのですが、なんと彼女は「パン屋さんが休みの日」以外は基本的に毎日通っているのだとか。運動が嫌いな人とは思えません。
パン屋さんの開店が7時で、ほとんど開店と同時に着くそうです。そんな朝早くからすげーな…という感じなのですが、そのパン屋さんの品数が豊富なこともあってか、「めっちゃ楽しいよ、もうすっかり習慣だもん。」と彼女はけろっとして言います。「パンが美味しいから痩せてるかって言うとイマイチだけど笑」というオチまでつけて話してくれました。
「散歩」という行動に「街一番のパン屋さんへ行くための」という文脈を用意してあげる。それだけでしんどい運動も楽しい習慣に変身してしまう。
これが「思わず行動したくなるような文脈を用意する」ということです。
仕事が楽しくなる文脈を描く
これと似ているなと思うのがネットで有名な「3人のレンガ職人」の話です。
「3人のレンガ職人」のストーリーとは、おおよそ次のような内容だ。
旅人が、建築現場でレンガを積んでいる職人に「何をしているのか」と聞く。
1人目<見れば分かるだろう。仕方なくレンガを積んでいる>
2人目<家族を養うために、レンガ積みの仕事をしている>
3人目<歴史に残る大聖堂をつくっている>
1人目は単純作業として、2人目は生活のため、3人目は、後世の人々の心のよりどころとなる大聖堂を建てようとレンガを積む。同じ作業をしていても、何を目的とするかによって、感じ方は違ってくる。同じ働くなら、夢を持って働く「3人目の職人」でありたいとの訓話だ。(出典)
同じことをしていても、持つ文脈によって意味合いが全然変わってくる。
「街一番のパン屋さん」は彼女にとっての「大聖堂」になったというわけですね。
これがあると仕事も楽しくなるので、例えばただ「あのドキュメント書いておいてください」とお願いするのではなく、「あなたが経験したことをマニュアルに起こして、次にその仕事をする人の生産性を10倍にする手伝いをしてもらいたいです」など、多少むりやりにでも「街一番のパン屋さん」を置くようにしています。
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